社会考察LABO

【肩書】社会考察LABO主任研究員 【筆者】おーにまる 【理念】社会の「なんで?」を考え抜き、言葉にして残す。 【座右の銘】考察は無限。

一次産業と資本主義 〜なぜ一次産業は儲からないのか?〜

 

《シリーズ》一次産業と資本主義
〜なぜ一次産業は儲からないのか?〜

本記事は、《シリーズ》一次産業と資本主義 の第1回です。
この連載では、資本主義社会の中で見落とされがちな「一次産業」の価値と役割について、経済・社会・思想の視点から掘り下げ、未来に向けた“価値の再設計”を提案していきます。

目次

1. 導入:なぜ「命を支える仕事」が報われないのか?


スーパーに並ぶ野菜や魚が「高い」と感じたことはないだろうか。
しかし──それを作った人たちは、その値段では到底生活できないという現実を、どれほどの人が知っているだろう。

農家、漁師、林業従事者。
私たちの「命を支える仕事」に携わる人たちは、今、経済の中で最も不安定な立場にある。
にもかかわらず、「儲からない」「成り手がいない」「時代遅れだ」と切り捨てられるのはなぜか?

事実:国内の農業従事者の平均年収は、300万円台前半。
若手の離農率は高く、地域によっては後継者ゼロという集落も珍しくない。

だが、よく考えてみてほしい。
人が生きていくうえで、本当に欠かせない仕事とは何か?
スマホアプリでも、株式投資でも、ライフハックでもない。
毎日の「食」と「命」に直結する営みこそ、社会の土台ではないのか。

それなのに、この国では一次産業が“儲からない”のが当たり前になっている。
これは単なる産業構造の問題ではない。
私たちの「価値の感じ方」、そして「経済そのもののあり方」が、根本から歪んでいるのかもしれない。


本稿ではこの「なぜ儲からないのか?」という問いを皮切りに、
資本主義が評価する“価値”の正体を探りながら、
一次産業が社会においてどのように位置づけられてきたのか──その背景を読み解いていきたい。

2. 資本主義が評価する“価値”とは何か?


一次産業が報われない背景には、「そもそも価値とは何か?」という深い問題が横たわっている。
資本主義において、価値は「市場がつけた価格」によって決まる。
つまり、「売れるかどうか」「どれだけ儲かるか」が価値の指標になるということだ。

その結果、誰がどれだけ汗を流して働いたかは関係ない。
市場での競争力を持つかどうかが、すべてを左右する。
だからこそ、野菜を作る人よりも、それをブランディングして売る人のほうが稼げるという現象が起きる。

たとえば:
トマトを育てる農家は、収穫後の出荷で1玉数十円の利益しか残らない。
一方、それをパッケージし「〇〇ブランドトマト」として売る流通業者は、何倍もの利益を得る。

この構造において、一次産業は常に「最も労力がかかるが、最も価値が認められない立場」に置かれる。
手間ひまをかけるほど効率が悪くなり、効率の悪さは価格に反映されない。


そしてもうひとつ忘れてはならないのが、
「中間」が資本を握っているという事実だ。

  • 大量仕入れで価格を抑えるスーパー
  • 買い叩きを通じて利幅を得る商社
  • 差別化と広告で利益を上げるブランディング業者

現場で生まれた価値は、流通の過程で「加工」され、
そのたびに利潤が“吸い上げられていく”のが、今の経済のリアルだ。

私たちは日々、その構造の上で生きている。
だが一度立ち止まりたい。
「本当に価値を生んでいるのは、誰か?」という問いから、目を逸らさないことが必要だ。

3. 歴史をひもとく:なぜこうなった?


一次産業が“低収益な仕事”になってしまったのは、決して偶然ではない。
背景には、日本社会が辿ってきた近代化・工業化の歴史がある。

明治維新以降、日本は「列強に追いつけ追い越せ」のスローガンのもと、工業と都市に資源と人材を集中させてきた。
それはつまり、農村・漁村などの一次産業圏からの切り離しを意味する。

戦後もその流れは加速した。
高度経済成長期、日本は「工業立国」として輸出主導型の経済を推進。
農業は“保護すべきもの”ではなく、“合理化すべきもの”として扱われた。

そして、もう一つ大きな転換点となったのが、流通革命である。
大規模流通網とスーパーマーケットの普及によって、
農家と消費者の間に巨大な“中間構造”が生まれた。

このとき、価格決定権が生産者から完全に切り離された
「売る側」が主導権を持ち、「作る側」は従うしかないという力関係が固定されたのだ。


そして都市への人口集中。
若者たちは「脱農=成功」「田舎=負け組」というイメージの中で育ち、
地方から人がいなくなった。技術も、誇りも、消えていった。

このようにして、一次産業は「儲からない場所」「継ぎたくない仕事」として定着していった。
だが、それは偶然の成り行きではなく、“選ばれた歴史”だったのである。

4. じっくり考察:価値と労働の分断はいつ始まったのか


私たちは、「経済」とは市場でモノを売り買いすることだと思い込まされてきた。
しかし、それはごく最近、資本主義という枠組みの中で“設計された価値観”にすぎない。

カール・ポランニーはその著書『大転換』でこう述べた。
市場経済は、人類史における例外である」と。

かつて経済とは、共同体の中で生きるためにモノを分け合い、助け合う仕組みだった。
土地も労働も貨幣も、“売り物”ではなかった。

ところが資本主義はそれらを「商品化」した。
労働を“切り売りする時間”にし、土地を“収益の道具”に変えた。
生きるための営みは、稼ぐための手段に変貌したのである。

この瞬間から、「価値」は“生きるに必要かどうか”ではなく、“利益が出るかどうか”で決まるようになった
一次産業のような命を支える労働は、儲からないという理由で“価値が低い”と見なされるようになった。


こうして「労働」と「価値」は分断され、
やがて“稼げる者が偉く、役に立つ者は貧しい”という倒錯した常識が社会を覆っていった。

だが私は問う。
それは本当に正しい文明なのか?
誰かの“食”と“命”のために働く者が、冷遇され、疲弊していく社会に未来はあるのか?

一次産業とは、労働の原型であり、人間と自然との対話だ。
そこにこそ「価値の本質」がある──そのことを、いま一度、思い出さねばならない。

5. まとめ:価値の再定義が、社会を変える鍵になる


私たちはこれまで、「何が価値ある仕事か」を市場に委ねてきた。
だがその結果、命を支える一次産業は、貧困と疲弊の象徴になった。

ここで立ち止まり、問い直すべきではないか。
“誰のための経済か?”
“何のための労働か?”
その答えは、市場の中ではなく、生活の根にある


一次産業を救うことは、単なる“職業支援”ではない。
それは「本当に大事なものを、大事にする社会」への回帰だ。
テクノロジーが発展しても、経済が膨らんでも、
人は食べ、息をし、土に触れて生きている。

これからの時代、「価値」を誰がどう定義するかが社会を決める。
だからこそ私たちは、見えないまま放置されてきた価値に、光を当てなければならない。

それは簡単なことではない。
だが一歩ずつでも、“命の側から見た経済”を取り戻していくことは、
私たち自身の生き方を取り戻すことでもある。


次回からは、この構造をさらに掘り下げるべく、
「価値は誰が決めるのか?」という問いに真正面から向き合っていく。

「一次産業と資本主義」──本当の価値をめぐる旅は、まだ始まったばかりだ。

© 2025 社会考察LABO All Rights Reserved.