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【肩書】社会考察LABO主任研究員 【筆者】おーにまる 【理念】社会の「なんで?」を考え抜き、言葉にして残す。 【座右の銘】考察は無限。

《シリーズ》一次産業と資本主義 〜「価値」は誰が決めるのか?〜

《シリーズ》一次産業と資本主義
〜「価値」は誰が決めるのか?〜

本記事は、《シリーズ》一次産業と資本主義 の第2回です。

第1回はこちら↓

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この連載では、資本主義社会の中で見落とされがちな「一次産業」の価値と役割について、経済・社会・思想の視点から掘り下げ、未来に向けた“価値の再設計”を提案していきます。

🔖 目次


1. 導入:なぜ「役に立つ仕事」が低く評価されるのか?


子どもを育てる。
高齢者を介護する。
命の糧を育てる。

どれも社会に絶対に欠かせない「役に立つ仕事」である。
だが──それらの仕事は、なぜ“安い”のか?

保育士の平均年収:約360万円
介護士:約350万円
新規就農者の初年度収入:100万円以下も珍しくない

「大変なのに、全然見合ってないよね」
誰もがそう思っているのに、構造は変わらない。
むしろ、こうした職種は「割に合わない仕事」として若者に避けられる傾向さえある。


そしてこの構造は、一次産業にも通じている。
人の命を支える──それほど“役に立つ”にもかかわらず、
「それ、儲からないでしょ?」の一言で切り捨てられる。

いつから「儲かる=価値がある」「儲からない=価値がない」という公式が、
私たちの常識になったのだろうか?

優しさ、手間、誠実さ、命を守る力── それらは「見えにくい価値」として、評価の外側に置かれてきた。

だが、だからこそ今こそ問いたい。
「価値」は誰が決めているのか?
その仕組みを知らなければ、一次産業の未来を語ることはできない。

2. 市場は“価値”を正しく測っているのか?


資本主義は、「価値=価格」であるかのように振る舞う。
だが、それは本当に“価値”なのか?

子どもを育てることは、0円。
家族を介護することも、0円。
お裾分けも、ボランティアも、笑顔も、全部“価値なし”として記録される。

「お金が発生していない=経済的価値がない」
そんなロジックが社会に染みついている。
しかしそれは、人間の営みの本質を無視した“数字の独裁”ではないか。

野菜を育て、雨の日も畑に立つ。
それがどれほど大変で、どれだけ命に直結しているか。
だが、価格は市場が「安い」と判断すれば、安くなる。それだけだ。


逆に、高級ブランドのバッグやNFTアートには、数百万円の値がつく。
それは「価値」なのか? それとも「演出」なのか?

市場がつけた値段は、「交換可能性」と「欲望の強度」を反映しているに過ぎない。
社会にとって本当に必要なものとは、必ずしも一致しない。

本当に問うべきは、「どれだけの人が生きるために必要としているか?」ではないか。

市場が価値を決めるという前提が、
私たちからあまりに多くの「見えない価値」を奪ってきた。

3. なぜ「儲かる=価値がある」と思い込んでしまうのか


気づけば私たちは、「稼げる=すごい」「儲かる=正解」という価値観に染まっている。
でも…それ、誰が決めたんだ?

学校では「いい大学に行けば安定」と教えられ、
テレビでは「年収〇〇万円の社長」が称賛される。
SNSでは「成功者」はブランド品とタワマンと笑顔に囲まれている。

こうして私たちは、「見える成功」に価値を見出し、
「生活を支える仕事」を“影”として扱うようになった。

だが現実には、誰かが土に触れ、誰かが手を汚し、誰かが命を支えている。
「お金にならないもの」は、価値がないのか?
それとも──評価の物差しが狂っているだけなのか?


資本主義は、「儲からない価値」をどんどん見えなくしていく。
それは市場構造の話だけではない──私たちの内面にまで、入り込んでいる。

教育、メディア、SNS、評価制度… あらゆる場所で、「価値=利益」という呪いが刷り込まれていく。

「社会に必要」よりも「映えるかどうか」が優先される時代。
そんな世界で、一次産業は“地味で、目立たない、儲からない”とされてしまう。

だが老師は言う──
それは、“評価の演出”にすぎない。
本当の価値とは、もっと静かで、もっと深く、もっと生きているものだ。

4. じっくり考察:「評価」とは誰の視点か?


評価とは、そもそも「誰が、何を基準に」しているのか?
それを問い直さなければ、価値は永遠に“演出されたまま”になる。

今の社会で評価されるのは、「数字になるもの」、「見える成果」そして「流通するもの」。
逆に言えば、評価軸からこぼれ落ちた価値は、“存在しない”ものとされている。

誰かの食事を毎日支える。
誰かの生活を地道に守る。
そういった労働は、賞を取らないし、バズらない。
だがそれは、「評価されない」だけで、「価値がない」のではない。

問題は、私たちがどこで“価値のモノサシ”を受け取ってきたかにある。
多くの場合、それはメディア、教育、広告、SNS──つまり「資本と接続された視点」だ。

資本とメディアは、「見える価値」を演出し、「見えない価値」を沈める。
これは偶然ではなく、戦略であり、構造だ。


では、どうすればこの構造から逃れられるのか? 答えは単純ではない。
だが一つ言えるのは、「多様な価値を見つけ、守れる社会」を作ること。

他人が決めた“評価”に従うのではなく、
自分自身の中にある「大事なもの」を見つける視点。
社会に必要なのは、そういう評価の再定義だ。

一次産業の価値を見直すとは、“何を大事とする社会でありたいか”という未来への意思表明でもある。

5. まとめ:価値を「再発見」できる社会へ


「儲かるものが価値がある」──その価値観が社会を形づくってきた。
だが、それが“人間らしさ”や“命を支える力”を置き去りにしてきたのもまた、事実である。

私たちは今、問い直さなければならない。
「評価されていないけれど、かけがえのないもの」は何か?
それを見つける力を、社会の中に取り戻さなければならない。

野菜を育てること。 命を育てること。 誰かの暮らしを支えること。

そうした「静かな価値」に、報酬と誇りがともなう社会へ。

それは、システムを変えるだけでは達成できない。
一人ひとりが、“見えない価値”に気づき直すこと。
そこから、再定義は始まる。


評価とは、社会の鏡であり、未来への選択である。
そしてその選択に、一次産業という“命の土台”をどう位置づけるかは、 私たち自身の人間観・社会観の問題だ。

「価値」を見直せる社会こそが、 誰かの犠牲の上に立たない、あたたかな社会の出発点となる。

次回は、いよいよ一次産業が“取り返す”フェーズへ。
伝え方・魅せ方・構造変化──その実践的な道筋を探っていく。

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